プロジェクト

宇多津町の変遷

宇多津町は、瀬戸内海に面した香川県のほぼ中央にあります。東は坂出市、西は丸亀市にはさまれた人口約2万人、総面積8.1k㎡の町です。7世紀後半には、海上交通の港(津)、「鵜足津(うたづ)」と呼ばれる自然港ができており、室町時代には足利義満の側近であった細川頼之公の居館が置かれ、管領の中心地として栄えました。
また、温暖で雨が少なく、日照時間が長いという瀬戸内式気候を利用して、江戸時代中期から昭和47年の塩田廃止まで、全国屈指の塩のまちとなりました。こうして、古くから政治、経済、文化の拠点として発展を遂げてきた宇多津町は、人類の英知と結晶と言われた瀬戸大橋を機に、広大な塩田跡地が新宇多津都市という新しいまちに生まれ変わりました。天気のいいときは、瀬戸内海に浮かぶ島々をはっきりと見ることができ、岡山県側も望むことができます。四季を通じて、瀬戸内海の多島美で知られる瀬戸の海に沈む夕日が宇多津町をうっすらと赤く染めるパノラマを存分に楽しむことができます。
(宇多津町ウェブサイトより)

「網浦眺望青山真景図」(所蔵:宇夫階神社)
「網浦眺望青山真景図」(所蔵:宇夫階神社)1855年の安政2年のまちの姿を描いた絵馬、地域の有志がまちの安泰を祈願し、神社に奉納したもの。海との関わりが深いまちであったことがわかる。

古街には、江戸時代に高松藩の米蔵が設置されました。その時代に都市計画はほぼ完成し、まちの姿は明治・大正・昭和と受け継がれました。古街の骨格は、絵馬の姿と現在も変わりありません。東西の丸亀街道と南北の金毘羅街道を軸線として、格子状に街路が形づくられています。先人たちの知恵が結晶して、現在のまちの美しさ、暮らしやすさにつながっています。

1960年代頃の撮影 現在の古街の家がある街角を南に進んだ場所
1960年代頃の撮影 現在の古街の家がある街角を南に進んだ場所

しかし、車の利用、移動手段の変化が都市構造の変化へと影響を与えることになります。町の北側、南側を東西に横断する県道や国道の整備によって古街は開発を免れもしましたが、ライフスタイルも変化し、少子高齢化の波が押し寄せました。これまで世代を越えて住み続けられてきた町家も空き家になり、解体される姿も見受けられるようになりました。

プロジェクトの背景

そこで宇多津の住民たちは、立ち上がりました。

2003年(平成15年)平成の大合併時、宇多津町と住民は、合併を選択しませんでした。自分たちの立脚点をみつめなおす、まちづくり活動がスタートしました。
2010年(平成10年)宇多津町が町家再生に着手するまでには、地域住民によるまちづくり活動の積み重ねがありました。

→古街の家ができるまで(年表)

古街の衰退を喰い止め、美しいまちを後世に残すため、宇多津町の町家再生プロジェクトが立ち上がりました。公共事業として、エリアの中心地にある空き家2棟を購入、その町家を起点とし、改修工事を行います。地域の価値を改めて向上させて、エリアに波及効果が生まれることを目指し、モデルとなるような改修と事業を実践することになりました。これからの地域の営みが100年続くためには、どうすればよいのか、考えを巡らせていた時、アレックス・カー氏と巡り合うことができました。彼は建築家ではありませんが、同じ四国の祖谷で古民家を魅力的に改修し、使い続けながら守ってきています。そこで、彼に監修を依頼することにしました。


プロデューサーアレックス・カー

アレックス・カー

メッセージ

香川というのは、実は私はすごく縁があるんです。
1971年に、僕はヒッチハイクで日本を西へ東へと旅をしていました。
そして、最終的に徳島の祖谷に導かれていくのですが、祖谷に連れて行ってくれたのは、香川で出会った青年でした。ですから、宇多津の話を聞いた時、やっぱりこれも何か導かれた縁なんだと感じました。香川での出会いがなければ、私の今ももしかしたら全く違っていたかもしれません。

宇多津という町は、とても小さな町ですが、そのコンパクトな中に小さな山々(香川らしい独立山たち)があり、穏やかな瀬戸内海にも面しています。中世から港町として栄えたこともあり、歴史も文化も豊かで、僕にとって宇多津はどことなく可愛らしく感じられ好きな街です。古街の家の2棟、臨水、背山、という屋号は、住良い土地を表す風水の言葉「背山臨水(はいざんりんすい)」から引用しました。まさに宇多津を表す言葉だと思います。

古街の家の改修にあたっては、元々の町家の雰囲気を活かしながら、現代的な快適設備を入れています。

そして、古街の家に滞在しならがら、是非街の散策もしてみてください。
いつの間にか、そこに住んでいるような気分になっていると思います、僕がそうだったように。

Alex

Alex Kerr 東洋文化研究家

1952年アメリカ生まれ。1964年に初来日。エール、オックスフォード両大学で日本学と中国学を専攻。1977年から京都府亀岡市に在住し、篪庵有限会社設立、執筆、講演、コンサルティング等を開始。2005年に徳島県三好市祖谷でNPO法人篪庵トラストを共同で設立。2014年『ニッポン景観論』(集英社)、2019年『観光亡国論』(中央公論新社)を共著で執筆。現在は、執筆、講演を中心に古民家の利活用プロデュース等の活動を行っている。